トライバルタトゥーの歴史2

トライバルタトゥーの歴史2

引き続き、トライバルタトゥーの歴史を地域ごとに見ていきましょう。
 
南太平洋 -ミクロネシアとメラネシア
ポリネシアよりも島の数が少なく、人口も少ないため、トライバルタトゥー文化の広がりや豊かさでは一歩譲りますが、
ミクロネシアやメラネシアでもトライバルタトゥーは行われています。
 
ミクロネシア
ミクロネシアは「小さな島々」を意味します。その名の通り、ポリネシアに比べると小さな島が多くなっています。
東にポリネシア、南にメラネシア、西にフィリピンが隣接してくる海域で、日本の領土である小笠原諸島はこの海域にあります。
太平洋戦争の戦場となったパラオやグアム(マリアナ諸島)もこの海域です。
ミクロネシアには、太古から隣接するポリネシア、メラネシア、フィリピンの3方向から人や文物が流入し、それらが複雑に交雑した人種と文化が形成されました。
トライバルタトゥーについてもまったく同様で、それら3地域のトライバルタトゥーの特徴をミックスしたタトゥーが発展しました。
注目すべきはその多様性で、各地域のタトゥーからの影響の「配合比率」とでもいうべきものが島ごとに異なっており、隣り合う島と島であっても、
行われているトライバルタトゥーがまったくちがう印象を与えるものになっていたりします。
「オリジナリティに欠けるがゆえのオリジナリティ」とも言えるのでしょうか。
具体的には、マルケサス諸島の黒く塗りつぶす面積が広い直線主体のパターンが、塗りつぶし面積を減らしてフィリピン・カリンガ族の繊維で
織りなしたような細密な線彫りを盛り込んだ全身彫りと混淆したり、さらにフィリピン・ミンダナオ島で行われるタトゥーの左右対称という特徴が
盛り込まれたりと、まさに変幻自在なものになっています。
まとめると、「島ごとにまったくちがう」のがミクロネシアのトライバルタトゥーの特徴です。
 
メラネシア
メラネシアは、ミクロネシアとオーストラリアの間に南北をはさまれた海域で、東側にニュージーランドがあり、ポリネシアと隣接しています。
西側にインドネシアがあります。太平洋戦争中の珊瑚海海戦、ガダルカナル島の戦い、ソロモン沖海戦などの舞台がこの海域でした。
メラネシアの人びとは、人種・血統的には2つの主要なルーツを持ちます。1つは地理的に近いオーストラリア大陸原住民のアボリジニ。
もう1つは、中東、南アジア、東南アジアを経て、海岸沿いに進出してきたアフリカの人びとです。
このため、メラネシアの人びとはアフリカ黒人のDNAを色濃く受け継いで、肌の色が黒い人が多くなっています。
メラネシアは、「黒い島々」、ないし「黒い肌をした人が住む島々」を意味します。
アボリジニがもともとタトゥーの習慣を持っていなかったこと、それから、肌の色が黒いとタトゥーが目立たなかったことから、
ラネシアでのトライバルタトゥーは、ポリネシアやミクロネシアほどさかんには行われていません。
というよりも、もともとこの地域にはタトゥーの文化はなく、ポリネシアやインドネシア、フィリピンから伝来する形で行われるようになったと考えられます。
メラネシアのトライバルタトゥーの中心地はソロモン諸島です。
デザインの傾向としては、ミクロネシアと同様にポリネシア、インドネシア、フィリピンなどから伝わったタトゥーのミックスになります。

トライバルタトゥー

 

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